四国逆うちお遍路の旅 40日目【高野山編②】
10/17(月) 雨のち晴れ
高野山の勉強不足で今夜寝る場所を全然考えていなかった俺は大門から近い弁天公園をビバークポイントに選んだ。公園内にはトイレがあり、藤棚?みたいな場所がある。少しでも雨を防げるだろうと思っていたが、雨は土砂降りになりテントから水が漏れてこないか心配だった。
朝5時には既に起床していて、出発まで時間がかかるのを予想して早目にテントを片付けた。
だがしかし…時間を見たら5時50分!
無量光院のお務めに間に合わなくなると焦り、雨の中走った。
何とか時間ぎりぎりだったが間に合い本堂へ向かうと昨日お風呂場であった外国人のお坊さんに「昨日のお遍路さん!」って言われちょっとしか会ってないのによく覚えてるなぁと感心した。
そして席に着くとすぐに勤行が始まった。
無量光院の勤行は略式を用いず、声明、読経と説法とで毎朝一時間半程のおつとめを行っています。
そして、護摩の修法をつとめる伝統的な法会形式を守っています。
今までお寺での護摩炊きは西新井大師でしか見た事がなかったので、高野山しかも朝のお勤めで体験できるとは思いませんでした。
お経を一緒に読むとかそういうのを予想していたのですが、全然違う貴重な体験をさせていただきました。興味ある方は是非行って体験してみてください。
最後に住職さんが言ってた言葉が胸に刺さり、個人的にお礼を言えたので良かったです。
「高野山へ来たのは来るべくして来たわけです。縁のない人は一生来ることはありません。」略してしまいましたが、こんな感じです。
確かに、準うち予定から急遽逆うちに変え霊山寺で高野山の事を訊かなかったら無量光院にも来ることはなかったであろう。途中、いろいろなハプニングがなければ高野山にも行かず八十八箇所結願した時点で帰っていたかもしれないと。
本当に奇妙な体験で、行く前に目標を定めた40日で終わっているのもまた奇跡なのかなと思います。
挨拶も終わり帰ろうとした時に昨日お風呂でお会いした広島のアベさんに宿坊泊まったの?と訊かれ公園でテント張って泊まりましたと答える。なんと朝ご飯をお接待され本当に感謝です。(-人-)
無量光院を後にして金剛峯寺へ向かうと拝観、納経は8時半からとなっていたのでまたファミマへ向かいホットコーヒーを飲みながら休憩。
8時半になり再び金剛峯寺へ向かう。駐車場にはでかい看板で「生きろ!」と書いてある。そしてまだ雨はかなり降っている。
金剛峯寺へ着き、まず初めに納経をする。
空海(弘法大師)が高野山を作った理由、すなわち共に生きる。社会貢献とその人材の育成である。
はっきり言うが、宗派がどうこうとか関係なく宗教を通じて人して凄いことをしているのだと、そして自分も影響を受けている事実。
今、人生の節目に立たされている気がしてならなかった。
そして納経所へ行き、拝観することに。
ここでもお接待を受けたことに感謝しております。
中は写真撮影が禁止されている場所が多々ある為庭園のみになります。
途中、お茶と菓子を頂きながら住職のお話を聞く、
金剛峯寺の家紋がなぜ二つあるのか!など…
確かにお遍路の輪袈裟にも足利氏や豊臣で有名な桐紋と右巴紋が書かれてあるのだ。金剛峯寺は2つセットで1紋になります。もともと金剛峯寺には2つのお寺があり一つになったからみたいですが…興味ある人は是非調べてみてください!
休憩も終わり再び順路へ行くと!!
なんと、いつの間にか空が青空に変わっていてびっくり!!瞬間移動でもしたのかというくらいの出来事でした。
内部もさすが世界遺産というばかりの作り、襖に書かれた絵がとても素敵でした。
外に出て心機一転という感じにまた写真を撮る(笑)
途中で地元小田原を発見!!
この通り、小田原通りと言うらしい!
近くのベンチで休んでいると、外国人の女性に写真を撮らせてくれと囲まれ…
何回も撮影されて行ったw
休憩も終わり一の橋へ到着。
この先の奥の院は人間の住む世界ではないと言われている。必ず橋を渡る前に一礼し、合掌してから入る。
入ると感覚がいつもと違うのがわかる。
ここから有名な大名などのお墓、供養塔などが並んでいるのです。
霊感が少々強いせいか途中でピタッと足が止まる。的確な位置までわかるくらい波長を感じるのでびっくりした。
それがまずここ。徳川吉宗公の墓の前。霊気は全体的に間るのですがこの前にくるとより強かった。
人によって感じ方は違うと思いますので、自分が感じたところだけ紹介します!
小田原の北条の墓の前を通り…伊達政宗の墓の前も通り(ここはどちらも感じなかった)
しかし、太陽の日差しで温められたせいか、雨で濡れた苔から湯気がすごくたっていて異様な光景を見ることができました。
しばらく歩くとまた強い霊気が…
それがここ。
名前確認するの忘れてたので場所だけ…
豊臣秀吉の墓は通りから少し外れた場所にあった。
そしてその先には中の橋があり、この川は三途の川を意味している。先は死の世界と言われている。
いよいよ御廟の橋を渡ります。脱帽し、帽子を被っていた外国人の方にも教えてあげるとありがとうと言ってくれた。日本人の女性といたのになぜ?とは思っていたが(笑)
そしてこの先は、飲食禁止、撮影禁止などの決まり事が多数あるのです。
なので写真はありません。
是非自分の眼で確かめて頂きたい!
そして灯籠堂に到着。
中に入り納経をする。ここは最後の奥の院の手前である。この建物の裏に奥の院に入場されている弘法大師様がいるわけです。
なのになぜだろうか、この灯籠堂へ着いた瞬間。
大量の涙が溢れてきて止まらないのです。
自分の意思とは関係なくずっと出っぱなしでした。
お大師様への手紙というのがあったので、四国お遍路で学んだことを手紙に書いて出しました。
手紙を書いている時、昨日ファミマで会ったコスタが通りかかりました。
そして奥の院で最後の納経しました。
この中に御大師様が入場されているのだ。すぐそばにいるのだ、武城公園で見たのは御大師様に違いないだろうと思いを込めながら…
そして奥の院の御朱印を納経所で頂きました。
納経所の方が凄い疲れた顔してるけど大丈夫?と心配してくれていました。自分的にはそんな事ないのにと思っていたのですがね(笑)
中の橋でコスタが待っていてくれて一の橋まで一緒に歩きました。
そして、そこで別れ歩いていると同じ日にスタートして、足摺岬へ行く途中で会ったかまち君に偶然会いました。彼はこの後の、出雲大社方面へ旅するとのこと。旅の無事を祈ります!
この後は女人堂へ向かい、バス停から高野山駅まで行き大阪へ向かいました。
そして夜行バスで小田原へ帰り無事、四国お遍路逆うちの旅+高野山を終えることができました。
四国で出会った皆さん、お接待して頂いた方々のお力が無ければ自分1人ではこの旅を無事終える事はできなかったと思って感謝しています。
また機会があれば四国へお遍路しに来たいと思います。
このブログを読んで自分も歩き遍路してみたい!って思ってくれる人が少しでもいたら嬉しいです。
最後に、お接待はご厚意でしてくれるものなので自分からお願いしてはいけません。
テント、寝袋等で野宿する時は来た時よりも綺麗にして去る。ゴミはポイ捨てしないようにお願いします。
挨拶はできるだけしましょう!
ただ、いろいろな理由でお遍路している人がいるので中には挨拶しない人もいるのでその時は我慢です。
納経帳を狙ったハンターと呼ばれる人がいるので、荷物の管理はちゃんとしましょう!
それぞれの人にそれぞれの冒険があります。みんな違うストーリーを体験するはずです。
先人のブログ等はあくまでも参考にし、貴方はあなたのお遍路LIFEを楽しんでくださいね!!
そしてありがとうございました。合掌(-人-)